ティータイム

『人の力は信じるに足る』ですねぇ。

2016-8-18 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

日曜日の夕方6時半からBSジャパンで放送されている『私の履歴書』 。今回は日経

2007年2月の記事を交えながら 先月7月17日放送されたダイキン会長の物語で、

タイトルは【町工場からグローバル企業へ!失敗が導く信念とは】から、書かせて

いただきますね。改めて言うのも何ですが、ダイキンは世界トップの空調メーカー。

昨年の売上高は、約2兆円、従業員数グループ全体で約6万人、145ヵ国に進出し、

連結子会社213 社という大企業です。

 

我が家にもダイキンの空気清浄機が3台。アレルギーに弱い我が家では健康の要でも

あるので『健ちゃん』と名付けていますが、エアコンも、シャープからダイキンにと

変わりつつあるのが現状です。

 

1935年、京都市で長男として誕生した井上会長。背が高く色白で茶色の髪だったため、

小学校入学後は外国人スパイだといじめられ、その事で自身は強くなれたと言って

いました。終戦後、街に進駐軍が溢れると周りの状況は一変し、お山の大将に。

その後、同志社中学・高校・大学へと進学したものの、これという夢もないまま父の

紹介で1957年にダイキン工業の前身、大阪金属工業に入社していきます。

 

心新たに社会人生活を迎えるのですが、配属先は希望していた花形の営業ではなく

淀川製作所の工場の総務・庶務係。1年も経つと、ガリ版刷りをしながら…「自分は

期待されていない」『とにかく面白くない』と無断欠勤するようになり、麻雀をしたり、

呑んだくれて遊びほうけていました。

 

無断欠勤8日目…先輩が『あんたは会社を知らん』と、御説教しにやってきます。 そうして

無断欠勤11日目…覚悟して会社へ行くと、誰からも咎められることなく、通常通りの

上司や皆の姿に、『ここは、ボロキンどころか懐の深い、人情味あふれる会社なんだ』と、

この会社への思いが変わっていきます。

 

1960年、淀川製作所に企画室が発足すると、新しく作り出すことを得意とする井上会長は

企画室に入り、タイムカードの廃止や提案制度を作るなど積極的に工場改革に取り

組んでいきます。社会人としての第一歩を踏み出すと共に井上会長はその才能を開花させて

いくのです。

 

1962年に結婚。翌年、淀川製作所が原因で野菜の立ち枯れや変色が起こっていると

近隣農民が押しかけて来ます。対応に当たった井上会長は話し合いの結果、上司に会社側が

設備改善するべきだと提案し、工場の改善を開始します。住民とのきずなを大切にし

盆踊りまで企画すると、それをきっかけに三代目の社長に認められ、40歳で本社の

人事部長に抜擢されていきます。

 

更に「ココム違反事件」では、危機に瀕していた化学部門へ異動し、見事再生させて

いきます。そして…1994年…三代目の山田稔社長から突然後継指名を受け、11人抜きの

異例の抜擢で4代目社長に就任。豊臣秀吉の様な出世ぶりですよね。

 

「業務用、家庭用、ビル用」の三本柱の中で家庭用エアコンに可能性を感じた井上会長は、

新商品開発に力を注ぎます。1999年、無給水で加湿機能を持つ世界初のエアコン

「うるるとさらら」が誕生。のちに誕生したキャラクタ-“ぴちょんくん”の人気も加わり

大ヒット商品となって、その後国内シェアトップを獲得。会長となって、世界市場へと

目を向け、ダイキンを世界トップクラスの空調メーカーへと押し上げていったのです。

 

 

愛読書は、カーネギーの『人を動かす』で、この本がリーダーシップのベースにある

そうです。そんな今回、ダイキンの放送では印象深いキーワードがいくつもありました…

 

『人を信じる経営者』

『人を基軸に』

『自分の好き嫌いで任せるな』

『人を見極めて拡大』

『人の力は信じるに足る』


やっぱり『人』ですかね…。
 

 

 

 

 

 

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