今日は貧困撲滅のための国際デーです。1999(平成11)年の国連総会で制定された
記念日です。 貧困家庭という言葉をそのまま受けとると貧しさから困っている家庭
となりますが、実は貧困には「相対的貧困」と「絶対的貧困」の2種類があるそうです。
『相対的貧困』とは、世帯の平均収入の50%以下の家庭のこと。『絶対的貧困』とは、
衣食住の確保が難しく普通に生活するのが困難で生死に関わる家庭を言うようです。
世界中の社会福祉や経済向上の推進活動を行っている国際機関、経済協力開発機構
(OECD)では手取り所得からみる貧困家庭の定義を以下の通り定めています。
【相対貧困率】
・1人世帯年収:122万円以下
・2人世帯年収:173万円以下
・3人世帯年収:211万円以下
・4人世帯年収:244万円以下
上記は子どもを含めた家族の人数で考えます。日本の国民生活基礎調査によると、
4人世帯のちょうど真ん中の年収は448万円なので224万円前後が相対的貧困家庭
となります。
貧困家庭では1日の1人分の食費が300円未満の家庭が半数以上あり、主食副菜等を
十分に与えられず、子どもの栄養不足が見られる家庭が8割以上にも及ぶと言われて
います。住んでいる地域の環境等によって多少前後しますが、その地域の平均的な
生活レベル(手取り額)よりも著しく低い収入の家庭のことを指すようです。
厚生労働省が2015年12月に発表した14年の「就業形態調査」によると、民間
事業者に勤める労働者のうち非正規社員の占める割合が40.5%に達し、初めて
4割の大台を超えました。総務省の「労働力調査」(2014年)でも、非正規の
割合は役員を除く雇用者全体の37.4%でした。こうした非正規社員の家庭は、
周りからはわからない「見えない貧困家庭」である可能性があります。また、
そのような貧困家庭に育つ子どもが近年増加傾向にあり「子どもの貧困」と呼ばれ
ているとのこと。
2012年に厚生労働省から「子どもの相対的貧困率」が発表されましたが、その数字は
なんと過去最悪の16.3%で、18歳未満の子どもの6人に1人が貧困であるという結果が
出ました。例にすると、30人のクラスに貧困の子が約5人いるということになります。
ユニセフ・イノチェンティ研究所は、先進国の子どもの状況を比較する報告書
『レポートカード』を定期的に発表しています。子どもの幸福度を多面的に
比較したレポートカード11(2013年)、経済危機の影響を分析したレポート
カード12(2014年)、格差を取り上げたレポートカード13(2016年)など、
最近の報告書ではいずれも、日本の子どもの貧困や格差の状況が、他の
先進国との比較においても深刻なレベルにあることが示されています。
お金に困らない人たちが政治の上に立っていると、なかなか有効なお金の使い方が
できないばかりか、いくら掛かっているかも底なし状態で困ったものです。
・・・もっと深刻に考えなければならない事・・・身近にあるようです…
歩く
下を向いて歩く
季節ごとの 美しい草花
ところ構わず捨てられた 沢山のゴミ
上を向いて歩く
広く大きな 空
日増しに重く濁っていく 空色
前を向いて歩く
慌ただしく流れる 人の波
自己満足に走り描きされた 荒れた落書き
急いで歩く
落ち着かない周りも 汚れも 気にならない
でも・・・汚れた空気で息が 苦しい
麻痺しながら弱っていく?
ゆっくり歩く
なんと周りは落ち着きがないのだろう
でも・・・薄い酸素でも 苦にならない
毒に染まらずにすむのか?
ゆっくり のんびり
自分のペースが 体にもいい
無理せず 周りも認識しながら
自分を失わず 備えたい
これから 自分に できること
気づいた 人にしか できないことを
詩集『道しるべ』より
ひとりぼっち?
かつて 静かな ひとときが 恋しかった
でも 静かな ひとときが ずっと続くなんて・・・
言葉を発しても 何も返ってはこない
声を出す必要も なくなってしまった
見えるものは・・・・・・・・・
たしかに 見えるものはある
でも 手にとることができない
広い世界に たったひとり 放り出されたようで
存在することさえ 苦しくて 悲しくてたまらない
自分が生き続けることに 何の意味があるのだろう
そう もう 何の意味もない
ここにいて 空気を吸うことも
迷惑なんだと思えてしまう・・・・・・・・
そう・・・思えてしまう・・・
いつまでも静かな一時が・・・
どこまでも・・・どこまでも・・・
ひとりじゃ生きてゆけない・・・
『聞こえる? 語りかける言葉が』
ふと気がつくと・・・
風の音・・・
虫の鳴き声・・・
鳥のさえずり・・・
生きているのは人だけじゃない・・・
人がいなくても自然の仲間がいる・・・
人だって またやって来る
たまには 動かない静かな時間も大切だよ
貴重な時間でしか知る事のできないものを
確かな自分の心に刻んでいこう
休んで 力を蓄えて 歩きたくなるその時を
あせらず 投げ出さず 待ってみよう
力や助けを求めている生き物の為に
貴方の心を活かして行こう
詩集『道しるべ』より
しあわせの法則
しあわせの法則?
そんな良い法則があるのか?
それでも逆のケースなら・・・
不しあわせの法則
何で、こんなに痛い?
何で、こんなに悲しい?
何で、こんなに辛い?
何で、こんなに苦しい?
何で、こうもうまくいかない?
解決できない事の言い訳を探してしまう…
つまり、こういう事?
しあわせの法則
これぐらいの痛みで良かった、命の尊さも再確認できる
この悲しさが、私を優しくしてくれる
この辛さが、私を強くしてくれる
この苦しみが、私の思いやる気持ちを深くしてくれる
うまくいかないことで、考える力が深くなる
良い結果を探して、前向きになる事…
時間に追われないこと
人の言うことを鵜呑みにしないこと
人との別れを引き留めないこと
存在する全ての「もの」との別れを引きずらないこと
別れは自分の心の成長と関わりがあるので、
より自分にふさわしい人との出会いの為のイベントにすぎない
良い回転を自分から作って行かなければ
二度とない人生だから、
幸運は、待つのではなくて、引き寄せていきたい!
まずは、次の一歩、
今、その一歩から
詩集「道しるべ」より
『寒い夏』 作詞:竹内まりや
始まりは 何気ない
僕の小さなひとこと
いつもと同じ様な
木曜日の朝 君は出て行った
主を失くしたティーカップ
塩素の匂いの水着
はるか遠い夏の
あの笑い声を 思い出してる
心はまだ16のままだと言った
ふたりだったのに・・・
大人になると みんな
話し方を忘れてく
やがて いつか
青い鳥がいないことに 気付くよ
覚えておいて
取り戻したいものは
若さや時間じゃなくて
僕の窓に灯り点す 愛しい人
いつでもそばに寄り添っていた 君だけ
おかえり 今すぐ
ひとりじゃ生きて行けない
Life is meaningless if you’re not here with me…
(※山下達郎さんのアルバム「僕の中の少年」より)
いよいよ9月も2週目に入りましたね。今年の夏は猛暑には慣れてきてしまった
せいか、はたまた気持ちがオリンピックに持って行かれていたせいか、さほど
激しい暑さに弱った感じはなかったのですが、とにかく激しい台風が多く感じた
事と、それが重なってか、蒸し暑さを非常に感じていました。
また大型台風がやって来ていますが、早く落ち着いて、食欲の秋、芸術の秋、
スポーツの秋を迎えていきたいものです。特に食欲の秋・・・ですかねぇ・・・
『ささいなことだけれど』
目があって良かった
おかげで貴方を見ることができる
耳があって良かった
おかげで美しい鳥のさえずりが聞ける
口があって良かった
おかげで喜びを声で伝えられる
手があって良かった
おかげで手を繋ぐことができる
足があって良かった
おかげで何処へでも行ける
痛みや悲しみ、苦しみだって
きっとより大きな喜びや
幸せを感じるためにあるんだね
ささいだけど
何不自由ない身体と
感じられる心があって良かった
だけど世の中には
弱い生き物や不自由な人・・・
助けを求めている命が沢山ある・・・
だから・・・
ささいな力でも、
自分の満足だけに終わらせず、
周りに活かすことも忘れたくないね
ささいな力でも、
集まれば大きな力になる事を、
私達は知っているから・・・
詩集「道しるべ」より
『インディアンの教え』
子どもたちは、
こうして生き方を学びます。
批判ばかり受けて育った子は、
人をけなすようになります。
いがみあう家庭で育った子は、
人と争うようになります。
恐れのある家庭で育った子は、
びくびくするようになります。
かわいそうだと哀れんで育てられた子は、
自分が哀れな人間だと思うのようになります。
ひやかしを受けて育った子は、
はにかみ屋になります。
親が他人に対して嫉妬ばかりしていると、
子どもも人を羨むようになります。
侮辱したりけなしたりされて育った子は、
自分に自信を持てなくなります。
励まされて育った子は、自信を持つようになります。
寛大な家庭で育った子は、我慢することを学びます。
ほめられて育った子は、
感謝することを学びます。
心から受け入れられて育った子は、
愛することを学びます。
認められて育った子は、自分が好きになります。
子どものなしとげたことを認めてあげれば、
目的を持つことの素晴らしさを学びます。
分かち合う家庭で育った子は、思いやりを学びます。
正直な家庭で育った子は、誠実であることの大切さを学びます。
公明正大な家庭で育った子は、正義を学びます。
やさしさと、思いやりのある家庭で育った子は、
他人を尊敬することを学びます。
安心できる家庭で育った子は、自らを信じ、
人をも信じられるようになります。
和気あいあいとした家庭で育った子は、
この世の中はいいところだと思えるようになります。
この詩は、日本では長い間「インディアンの教え」として広まっています。
ところが、最近出版された「Children Learn What They Live」 by Dorothy
Law Nolte and Rachel Harrisという本によると、これはインディアンの教えとは
関係なく、Dorothy Nolteという人が1954年に書いたものだということでした。
彼女自身が、「なぜか日本では翻訳時にインディアンの教えと訳されたため、
そのまま広まってしまった。」と記しています。
Nolteさん曰く、愛とは心の中から湧き出、人から人へと流れのように
伝わっていくものであり、宝や持ち物のように探し求めるものではないとのこと。
原文では、子どもがお互いをおろそかにせず、いたわり合えるような環境で
育てば、子どもは、これから旅立とうとしている世の中を肯定的に捕らえ、
希望を持つことができると言いたかったとしています。
自分が育った環境・・・親としての子供への接し方・・・考えさせられます・・・
『カラスのカーちゃん』
傷ついたカラス
車に潰されたように
両足がつぶれて
歩けない…
まるで、引きちぎられたように
翼の半分がなくて
飛ぶこともできない…
道端でもがいているところを
拾われた…カラスのカーちゃん
止血して、床を作って
それでも、怖がるばかりで
何も食べようとしない
みるみる弱っていくカーちゃん
時々、ビクッとしたり
眠りに入ったり
足がないと、内臓で
身体の重みを支える事は出来ない…
仕方なく、雛にやるように
鋭く固いくちばしをこじ開けて
すり潰した餌を与えた…
しばらくすると、苦しそうに吐き出す
お腹で身体を支えているからか…
手の中で柔らかく包もうとすると
鋭いくちばしで攻撃してくる
それでも、痛みに耐えながら
「大丈夫だよ」と抱きしめた…
その時だった…
「なんで、攻撃しているのに…」と
不思議そうに見つめるカーちゃん
「賢いカーちゃんだぁ」
そう、つぶやいて再び抱きしめた
それからは、攻撃される事はなくなった
床は、出来るだけ身体全体で重さを分散するように作り直した
手の空く限り、抱きかかえて過ごした
一緒に寝てしまう事もあり、そんな時は、身体を私に預けて眠っていたカーちゃん
いつしか、わずかの会話ができるようになった
「お腹すいたぁ」
「おトイレしたい」
「眠たい」
ちょっと離れる時間が長いと
排泄した便などで、お腹一体、濡れて汚れてしまう…
そのまま放置すれば固まって、弱った身体を傷つける…
病院に連れて行っても、迷惑そうに見たあげく、無理だと言われた…
足もないのに歩こうとして、付け根は腫れ上がって…
翼がないのにバタバタして、また傷ついて…
そうして3ヶ月が過ぎていった、ある日の朝…
カーちゃんは力尽きて…永遠の眠りについた…
不思議に安らかな顔に見えた…
カーちゃんは、信頼を教えてくれた…
カラスだから、みんな、変な目で見たけれど…
もっと、鳥を助けられる病院があったなら…
カーちゃん…天国行けたよね…
ありがとう カーちゃん
詩集「道しるべ」より
動物を傷つけてしまう人がいるけれど・・・
動物に力を貸せる人もいてくれる・・・
まだまだ、世の中捨てたもんじゃありませんよ。
無言の会話
君は おしである
そして 私も おしである
君と二人きりで 話がしたい
時のたつのも忘れて・・・
だが 聞こえてくるのは
耳ざわりな騒音ばかり・・・
君は いつも 微笑んでいる
そして 私も 微笑んでいる
君と二人きりで 話がしたい
時のたつのも忘れて・・・
だが・・・聞こえてくるのは
他人の甘いささやきばかり・・・
君は いつも 私を見ている
そして 私も 君を見ている
不思議と 見えるものは 君だけ・・・
時のたつのも忘れて 私たちは見つめあう・・・
そう 私たちに見えるものは
私たちだけなんだ
耳も口もいらない
ただ 見つめ合う瞳さえあれば・・・
その瞳で 今も
君は 私を見つめている
そして 私も 君を見つめている
詩集『道しるべ』より
お母さんが鏡に向かって パックをしています。
五歳の太郎君がそれを見て・・・
「ママ、何をしているの。そんなドロドロしたものを顔に塗って」
「これはね、ママの顔を美しくするためよ」
「ほんと。きれいになるの」
「そうよ」
パックをはがしている母親の顔をじっと見ていた太郎君が叫びました。
「あっ、ママ、失敗だったね」
太朗君の一言で、あくる日からお母さんは、パックをやめました。
もし、太郎君が「あっ、ほんとだ。大成功だ」と言ったとします。
お母さんは、毎日、せっせとパックにいそしむことでしょう。
・・・これは、「 ママ ぼくを ダメにしないで 」至上館出版より
抜粋させていただきましたが、社会人になった私達にも、こうした
『ちょっとした一言』でも相手に与える影響の大きさが
計り知れない事を知っています。
人によってその時の心や身体の在り方は違いますし、投げかける側も、
忙しい時や、体調不良のときなど、ゆとりのない時は、特に言い回しに
気を配る事ができないものです。
相手を『思う気持ち』、その思いが持てるような『ゆとり』を持っていく事、
どちらも、しっかり手にしていきたいですね。