1994年の今日4月27日 南アフリカ共和国で初めてとなる全人種参加の
ネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議が第一党となって、マンデラさんが大統領に
若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けたマンデラさん
27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放されると、翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任
デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞
『42~世界を変えた男』という映画で知られているジャッキー・ロビンソンさんもまた
1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたメジャーリーグで
アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし、有色人種のメジャーリーグ参加の道を開きました
大統領といえばバラク・オバマさんもまた、建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人で
「核なき世界」に向けた国際社会への働きかけが評価されてノーベル平和賞を受賞
こんなに様々な人が人種の壁を乗り越えて素晴らしい足跡を残してきたのに
根強い人種差別がまだまだ存在しているのは、とても悲しいことです…
先日『それでも夜は明ける』 という、あのスティーヴ・マックイーンが監督した映画を見ました
第86回アカデミー賞の作品賞をはじめ、様々な映画賞を受賞した素晴らしい作品ですが
私は最初の20分を過ぎたぐらいから胸が苦しくなって、40分を過ぎると
もう見ていられなくなって見るのをやめてしまいました…
自由黒人ソロモン・ノーサップさんによる奴隷体験記『Twelve Years a Slave(12年間、奴隷として)』
彼は解放されるまでの12年間ルイジアナ州のプランテーションで働いていました
実話をもとにして作られた映画ですが、こんなにも酷いことが平然と行われていたかと思うと
晩御飯を食べながらなんて、どうにも見続けることができなかったのです…
連休中、何かをしながらではなくて、しっかり腰を据えて再度見たいと思っています
また、時間に余裕のある方で、まだご覧になっていない方も是非お勧めです
1934年の今日4月21日 渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成し、除幕式が行われました
ハチ自身も除幕式に出席していて、翌年、1935年3月8日、この世を去りました…
渋谷のハチ公前と言えば、待ち合わせ場所の目印となっていますが
これまでも映画やドラマで何度も扱われているので知らない人もいないでしょう
そんな数多い作品の中でも記憶に新しいのが海外進出したリチャード・ギア主演の
『HACHI 約束の犬』 (アメリカ映画、2009年公開)…
「ハーチー」という言い回しに違和感を感じたものでした…
ところで、犬と人は良好な関係を築いて生活をしていますが
なぜ犬と人は非常に強い結びつきがあるのか、その理由が共同研究で明かされています
一般的に、動物では相手を直視することは通常威嚇のサインとなりますが
人の場合の見つめ合いは、親和のサインになります
犬は進化の過程で、人に類似したコミュニケーション・スキルと、
相手の気持ちを受けることで、更にお互いの存在を
より深いものにしていける力を手にしていったのです
鳥好きな私からすると、鳥もそんな力を持っているようには思うのですが
今回のテーマとはズレてしまうので、今日はこの辺で…
1889年の今日4月16日、チャールズ・チャップリンがイギリスで生まれました
正式にはチャールズ・スペンサー・"チャーリー"・チャップリン?
口ひげ、だぶだぶのズボン、どた靴、ステッキに山高帽という独特のスタイルで
社会を風刺し、『モダン・タイムス』『ライムライト』等多数の映画作品を残しました
1941年にはアメリカが第二次世界大戦に参戦したことで、映画製作の停止をさせられ
あげくに1952年、ロンドンで『ライムライト』のプレミアのために向かう船の途中
アメリカのトルーマン政権の法務長官から事実上の国外追放命令を受けたり…
メッセージを込めれば、伴うように苦労も背負っていました…それでも…
1971年、フランス政府によりレジオンドヌール勲章、パリ市議会からは名誉市民の称号を与えられ
1965年にエラスムス賞を受賞。その頃に公刊された『私の自叙伝』は空前のベストセラー
1972年、アカデミー賞名誉賞に選ばれ、授賞式に出席するため、20年ぶりに
アメリカの地を踏みます。この授賞はチャップリンの国外退去を阻止できなかった
ハリウッドからの謝罪を意味していました。舞台に登壇したチャップリンに対し
会場にいる全ての者がスタンディングオベーションで迎えたそうです
1975年、それまでの活動を評価されエリザベス2世よりナイトに叙され
「サー・チャールズ」とまでなったチャップリン…尊敬する映画俳優です
1977年のクリスマスの朝、スイス・ヴェヴェイの街を見渡せる自宅で永眠
88歳の永眠でした…クリスマスの朝に亡くなったのも、凄く印象的でした…
よく知らない方は、私の大好きな『街の灯』…是非一度ご覧ください
1912年の今日4月14日 豪華客船タイタニック号がニューファントランド島沖で氷山に衝突
翌日未明に沈没し、死者1,513人という多くの犠牲者を出すことになりました…
この海難事故を扱った作品は数多く残されることになりましたが
やはりレオナルド・ディカプリオ主演の映画『タイタニック』(1997年のアメリカ映画)が
1番印象に残っているのではないでしょうか
レオナルド・ディカプリオと同じく主演のケイト・ウィンスレットさん…
美しかったですよねぇ・・・そして、あの音楽も・・・
セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン…長い名前だ…
長過ぎるのでセリーヌ・ディオンと略されることが殆どですが
あの主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も大ヒットして
船首での風を切る映像とのセットはそこらじゅうで真似されていた気がします
興行収入も全世界で18億3500万ドルと映画史上最高の記録でギネスに登録
…で、その記録を抜いたのも同監督の『アバター』だったりして凄い話です…
そんな話は別として、映画って映像として記憶に残っていくので
何年経っても感動が薄まらない気がします
なんて事を話していると、また映画が見たくなってしまうので…
今更ですが、1年遅れで見てしまいました『神様のカルテ2』
主役は嵐の櫻井翔くん 今回の2では、あの藤原竜也さんも出演していますが
柄本明さんが全て持っていってしまうぐらいの好演で、感動ものでした 特に後半は
貫田先生を演じる柄本明 さんは、
そんなに好きな役者さんではないのだけれど
この映画では抜群の演技力で涙涙…
志ある医者の熱い気持ちが良く伝わり
それを支える周りの人の気持ちもよく描かれていました
第1作『神様のカルテ』は、現役の医師である作者が
第10回小学館文庫小説賞を受賞したデビュー作で
2009年8月に小学館から単行本が発売
2010年に本屋大賞で2位となったものです
また、Sakuramedal2011 高校生部門の大賞を獲得しています
第2作『神様のカルテ2』は2010年9月に発売され
2010年12月時点で累計70万部を突破しています
その後、第3作『神様のカルテ3』が、2011年に小学館の
小説誌『STORY BOX』にて第1話が連載され、2012年8月に単行本が発売
前日譚の短編集『神様のカルテ0』が2015年2月に発売されるという人気シリーズものです
まだ御存知ない方は、いきなり2の映画から見ても充分満足できると思います
医療ものの映画も色々ありますが、一味違うこの映画を、是非一度ご覧下さい
1963年の今日、3月5日、石川喬司・小松左京・中上守・斎藤守弘・斎藤伯好・
半村良・福島正実・星新一・森優・光瀬龍・矢野徹の
11人のSF関係者によって発足した『日本SF作家クラブ』
この名称は、江戸川乱歩が創設した推理作家による『日本探偵作家クラブ』
(現・日本推理作家協会)がヒントになったのではないかと言われていますが
こんな日本らしくないSFもこうした作家の先生方のおかげで随分と良い物が作られるようになり
映像として見られる映画も、大金をかけて製作される海外の映画に負けないほどの
仕上がりになってきたように思います
思えば子供の頃は読書が嫌いで、外を走り回っていた私ですが
そんな私でも簡単に手を出せたのが星進一さんの短編SF集でした
なんとなく『どんより・じめじめ』感の強かった映画界も、
こうした作家の先生たちの努力によって、より豊かなものになっていった
そんな先生たちに支えられているんだなぁと改めて思った今日なのでした…
先日、テレビで『江ノ島プリズム』というタイムトラベルの映画を見ました。
ラストの直前で、電車に友人を乗せ、存在が消えて行く瞬間…
分かっていても、グッと来るものがありました。
タイムトラベルものと言えば、テレビの『JIN-仁-』が記憶に新しいのですが
娯楽対策の要素が優れていたのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作
登場する人物の性格もハッキリしていて、分かりやすく作られていました。
古くは、日本の『時をかける少女』も切ない恋心を扱うものが多いようで
どうしても日本ものは、そうした方向に行ってしまう…?
タイムトラベルで欠かせないのは、やはりイギリスの小説家H・G・ウェルズ。
作品『タイム・マシン』は1895年(明治28年)に発表されていたのだから流石です。
タイムトラベルものは、どうしても矛盾とは離れられなくて、
作者なりに様々な理由を付けていきますが、そこで議論しても
仕方のない話なので、『映画の世界なんだから』と素直に作品として楽しんでいます。
『江ノ島プリズム』は、…単純に友を思う熱い気持ちに感動できる映画でした。
う~青春やなぁ~・・・
2013年の1月 22日。この日、 2007年1月11日に破壊された
中国の気象衛星風雲1号Cの破片が、ロシアの小型衛星
BLITSに衝突し、BLITSは衛星としての機能を喪失してしまいます…
そんな事があったそうですが、それで思い出したのが
数々の賞を獲得した映画『ゼロ・グラビティ』…
第71回ゴールデングローブ賞 監督賞受賞
第67回英国アカデミー賞 監督賞・撮影賞・英国作品賞・作曲賞・音響賞・特殊視覚効果賞
第86回アカデミー賞 監督賞・作曲賞・音響編集賞・録音賞・撮影賞・視覚効果賞・編集賞
面白かったので、是非見てみてください。
私は、宇宙が怖くなりましたが…
『ライバルが手を結ぶ日 』
そんな書き方で今日は何の日に引っかかりましたが…
1866(慶応2)年、長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが
土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、
倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだ日だそうです。
そう言えばNHKの大河ドラマ『花燃ゆ』
似たような時代背景になっていますが
『今回のキャストはずるい!!』
そんな風に思ったのは私だけでしょうか…
トレンド俳優で固めて、内容はどうでも
女性陣が見たくなるのではと…
現に我が家も…
そこそこ年齢のいった人には、憧れた方もいらっしゃるのでは?
今日は、そんなブルー・スリーが生まれた日だそうです。
TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役として主役を食ってしまうほどの格好良さ。
『燃えよ!カンフー』を企画したものの、東洋人であることなどを理由に叶いませんでしたが
この番組も、私は好きで見ていましたし、それが彼の企画であったことは知りませんでした。
映画はご存知のとおり『ドラゴン危機一発』・『ドラゴン怒りの鉄拳』
・『ドラゴンへの道』・『燃えよドラゴン』の4作品
32歳で亡くなってしまいますが、死後、彼が待望していた主演作
『燃えよドラゴン』がアメリカを皮切りに世界各地で公開され、ヒットしますが、
アクションスターとして世界的に知名度が上昇した時、
既に本人は亡くなっていたという何とも哀しい話…。
死後、『ドラゴン危機一発』などの過去の映画が世界中に配給されましたが…。
あれは別物です。
私も、ヌンチャクを作って振り回したり、「決めのポーズ」等をマネしたものでした。
1966年にデビューしてから1973年に亡くなるまで、
テレビは1本、映画は1971年からの4本のみと惜しい限り
死後、未完成だった『死亡遊戯』が発表されはするものの
ファンとしては、もっともっと、新しいものが作り出せたのではないかと…